仏国土(浄土)を表す中核寺院

中尊寺は、平泉の中心部北側の関山丘陵に位置し、奥州藤原氏初代清衡が、日本の北方領域における政治・行政上の拠点として平泉を造営するのに当たり、12世紀初頭から四半世紀をかけて、現世における仏国土(浄土)を表すその精神的な中核の寺院として最初に造営した寺院です。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、12世紀末期の中尊寺には、40にも及ぶ堂宇と300にものぼる禅坊(僧侶の住居)が存在したと記されています。
1337年(延元2年)の火災により、金色堂、その覆堂、経蔵の一部を除くほとんどの堂宇は焼失しましたが、近世には、仙台藩主伊達氏の庇護の下、現在に残る他の建造物は保護され、月見坂などの参道が整備されました。

現在の中尊寺境内には、本坊をはじめ、17の支院、白山信仰に基づき北の鎮守社として勧請された白山神社が存在し、今日においても伝統的宗教活動が活発に行われています。

境内では、1953年(昭和28年)から継続して発掘調査が行われ、その結果、奥州での多くの戦で亡くなったものの霊魂を敵味方の区別なく浄刹(浄土)へと導くとともに、辺境の地とされた奥州に法華経に基づく現世の仏国土(浄土)を造ろうとした初代清衡の深遠なる願いが示されている『中尊寺建立供養願文』に記されている「鎮護国家大伽藍一区」跡である可能性が高い「大池伽藍跡」と呼ばれる仏堂・園池の跡をはじめ、かつての寺院の様相を知ることのできる建物跡・堀跡・園池跡・道路跡・井戸跡など、各種の遺構と多量の遺物が発見されました。

境内には、金色堂、金色堂覆堂、経蔵のほか、12世紀の石塔文化の特質を表す願成就院宝塔・釈尊院五輪塔、白山神社能舞台など、国宝及び重要文化財に指定された6件の建造物が存在します。また、大池伽藍跡をはじめ、境内の全域が特別史跡中尊寺境内に指定されています。

さらに、現在の中尊寺境内では、奥州における戦で落命した全てのものの霊魂を極楽浄土へと送るために清衡が祈祷を行ったところ、1匹の猿が現れて念仏踊りを舞い、それらの霊魂を極楽浄土へと導いたとの伝承に基づく「川西念仏剣舞(国重要無形民俗文化財)」が毎年行われています。

金色堂旧覆堂 中尊寺月見坂

平安美術の宝庫
三千有余点の国宝・重要文化財

1124年(天治元年)に上棟され、中尊寺創建当初の姿を今に伝える金色堂(国宝)は、堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝を用いた螺鈿細工、透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されています。

他にも、中尊寺経や「中尊寺建立供養願文」をはじめとした中尊寺文書、多くの仏像、奥州藤原氏4代の御遺体の副葬品をはじめとした工芸品など、中尊寺だけで3,000点あまりの国宝・重要文化財があります。これらについては、現在讃衡蔵に収蔵されています。